移住への準備


4月から那須町での生活がスタート

2月、ヨメと10日間那須に滞在した。今までこんなに長く那須にいたことはない。そして滞在中にいろんなことがあった。
下旬、那須町で地域おこし協力隊の面接があった。事前に行われた説明会には、10名の参加者がいたので「運がよければ受かるかも」くらいの気持ちでいたのだが、当日面接に来た人の数がそれよりも減った。

だから「これは受かるかもしれないな」と、気持ちを新たにした。
合否の結果が翌日に出たのだが、これがすごくありがたかった。
なぜなら合否の結果によって、僕とヨメのその後の動きがだいぶ変わってくるから、早く結果が知りたかったのだ。

一番大きいのが、家探しだ。那須町の地域おこし協力隊になったら、住む家は那須町にある家から探さなければならない。だけど那須町には借家の数自体がとても少なく、その中から自分たちがいいと思える物件を決めなくてはならない。別荘住宅の売買物件はいくらでもあるのだが、借家を探している僕たちは、もし合格したら4月までに急いで那須町内の家を見つけなくてはならないのだ。

那須に来てから数日、那須塩原市にあるほとんどの不動産会社を回ったと思う。
お隣りの那須塩原市には、黒磯駅周辺、那須塩原駅周辺を中心に賃貸物件が数多くある。選択肢がたくさんあるのはすごく嬉しいことだ。家で仕事をすることになるヨメにとっては、初めての土地で暮らす家が快適なことは、とても大切だ。
気に入った物件もいくつかある。だけど、結果的にそこには住まないことがはっきりした。

那須町の地域おこし協力隊に合格したからだ。

地域おこし協力隊として

合格の知らせをもらってから、早速那須町での家探しをはじめた。と言っても不動産会社で扱っている物件はごくわずかで、1つの不動産会社で那須町の借家は1軒か2軒くらい。
その中から探さなければならない。エリアは別荘が多い高原ではなく、もっと標高の下がった里山エリア。そしてヨメが気に入ってくれる家にしたいが、なかなかうまく見つからない。

そして、ある不動産屋さんで那須町にある1軒の戸建て賃貸を見つけた。芦野や伊王野といった里山エリアではない。だけど黒磯駅からも近く、大型スーパーには歩いて行ける距離。それでいて家の周りは牧草地なども広がる高台に位置している。2階の窓からは遠くまで見通せる畑が広がり、庭もそこそこ広い。部屋数も申し分ない。

「ここじゃないか?」と僕はヨメに言った。
「うん、そうやな。」とヨメは言った。僕はここでの暮らしがイメージできて「悪くない。いや、いいかも」と思い始めていた。

ヨメのリアクションは本当に分かりやすく、気に入ったときは「ヤッター!」と全身で喜ぶところがある。でも、この家を見たヨメは「悪くはない。」という印象だった。家の中や庭の雰囲気。買い物も近くて、家仕事の息抜きに出かけやすいということは及第点。ただし、家は小さな新興住宅地のようにお隣りさんとお向かいさんがミッチリと詰まっている。そこがやっぱり残念なのだ。

ヨメは庭で子ども用プールに水をはり、夏場に裸で水浴びしても周囲が気にならないような家に住みたいと行っていた。でもこの家ではお隣りさんの目が気になってしまうだろう。
できるだけ、ポツーンとした家がやっぱりいい。

那須での10日目。東京に帰る前に僕たちはとりあえずこの家でスタートしようということになり、不動産会社の担当営業マンに電話をした。
すると担当者が今日はお休みだという。では明日また電話しますと言って電話を切った。

荷物をまとめていると、また電話が鳴った。那須に住む友達からだった。
「お隣りさんに空き家があるか聞いたら、あるっていうから見て来たよ」とのこと。
送られてきた家の写真は、庭が広く、ポツーンとした家もステキだった。

いきなりの急展開。
ヨメは「ヤッター!これや!」と全身で喜びを爆発させた。

東京に帰ってきてから、僕たちはなんだか変な気持ちになっていた。
仕事のこと、住む場所のこと。この10日間で、あまりにも多くのことが一気に決まり出したので、気持ちがついていかない。
待ち望んでいた田舎暮らしなのに、これでよかったんだろうかと、ふと感じてしまう。
2人揃って、軽いマリッジブルー状態。

こういうときは、少しずつ、気持ちが自分の後ろからついてくるのを待つしかない。
とにかく、次の週にあらためて那須に行き、その空き家を拝見しに行くことにした。
3月は那須と東京を行ったり来たり。
東京でお世話になった人たちに報告とあいさつを済ませ、仕事をかたずけ、荷物を整理して。。

とても忙しくなる。



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