移住に対する周りの反応について


年が変わり、那須への移住は春とともに近づいてくる。
僕たちが地方へ移住することは、自分もヨメさんもまわりの友人、知人、親族にすでに伝えてある。
「へえー、そうなんだ。すごいじゃない。今度遊びに行くよ」
だいたいそんな反応が多い。だけどそれは、自分たちにより身近な人であればあるほど変わってくる。
彼らが地方への引越しをはじめて聞いたときの反応は
「えっ、なんで?そんなところ行ってどうするの?」
なかには「今よりもそこへ行ったほうが楽しいと思うなら、その理由を聞かせてみな」なんて言う人だっている。

自分が逆の立場だったら、同じことを言うだろうか。
僕もヨメも、やっていることは全く違うが、それぞれが仲間と一緒の活動をずっとしてきた。だからいきなり東京を離れることを聞かされて、戸惑いがあるのは仕方ない。親友や家族なら、素直に「いいね!」とは言えないのが、人の偽らざる反応かもしれない。

那須の冬はとても寒い。厳しい自然と向き合うことも田舎暮らしの一部だ。

僕は「なんで、そんなところに行くの?」と聞かれて、それを説明することの難しさを感じてきた。言いたいことはいくらでもある。だけど、会話はお互いに共有できる価値を持ち合わせていないと、議論になってくる。
それでもなんとか自分の思いを伝えようと説明してみても、人は関心のない話を聞かされると「ふーん、それで?」となってしまう。僕も友人とわざわざ関係をこじらせたくないから、「まぁ、いいか」となってしまう。

だいいち「なぜ?」に対する説明はとてもひとことでは言えない。
社会に起こったさまざまな出来事。そのなかで自分たちが生きていくことを見つめ直したり、いろんな思いが年月をかけて醸成され、地方で暮らすという結論にいたった。それがうまく行くかどうかということよりも、現実と照らし合わせれば、東京にいるよりどう考えても不安や無駄を感じることが少ない生き方ができるのではないかという思いがあった。それは僕たちが見つけた宝物のような価値なのだ。

だけど、これは親の立場から言わせると「仕事はどうする?そんなことで大丈夫なのか」となってしまう。それは、仕方のないことだ。高度経済成長のなかで仕事を変えることなく必死に働いてきた方たちの、既存の枠組みの中からは、僕たちが見つけた価値は危うく写り、理解をするのが難しいことなのかもしれない。
でも、僕はこの既存の枠組みこそ、危ういと感じている。貨幣価値だけで人が生活を成り立たせていることこそ幻想ではないかと、僕たちは震災のときに学んだのではなかったのか。

那須町を車で走っていると、冠雪の那須岳がよく見える

前時代的な生活に戻れと言っているのではない。劇的な生活の変化を自分の家庭に落とし込もうとしているわけでもない。これからの時代に寄り添うようなライフスタイルを模索し、生活の一部に取り入れる挑戦を地方への移住に求めているだけなのだ。
こういう話を友人や親族とすることは、僕にはとても難しいことだった。だから「なぜ?」に対する気持ちを伝えることを僕たちは諦めた。

「ほっといてよ」というつもりはさらさらない。いろんな人の支えがあったからこそ、今まで生きてこれたのだ。その感謝を決して忘れることはない。
「曲がりなりにも、ちゃんと生活できているのだな」と安心してもらえるよう、頑張らないといけない。
「最初は理解できなかったけど、案外地方で楽しく暮らしているんだな」といつかは思ってほしい。
そして価値の相違を越えた付き合いがずっと続くことを祈るばかりだ。



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